今日は 銀閣寺をご紹介します。
室町幕府8代将軍足利義政の時代、部下の対立や義政の妻日野富子の政治への口出し等で政局は混乱し、後継者争いから応仁の乱が起こったとされている。義政は政治に嫌気を感じたようで、政治の世界から逃れ静かな生活を送るため、応仁の乱で焼失した浄土寺の跡地に、文明14年(1482年)に東山殿を造営した。東山殿を築造するに当たり、義政は祖父である3代将軍義満の北山殿金閣に劣らぬ建築を意図し、相国寺の僧に相談したという。
義政の没後、義政の法号慈照院に因み慈照寺と名付けられ夢窓疎石を開山とした、と伝えられている。その後、火災に遭い東山殿当時からの遺構は観音殿(銀閣)、東求堂及び庭園のみであるといわれている。
この寺の正式名称は「慈照寺」であるが、通称名である「銀閣寺」の方が一般にはよく知られている。
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投稿者:管理者 日時:2009年06月06日 14:10